メール

大学時代の先生からメールがたまに届く。

書いたものの感想を教えて欲しいというメール。

 

たぶん先生は「一般読者の意見を知りたい」かつ「編集志望」ということで聞いてくれているのだと思う。(あとは、たまたま私とのメールが上の方にあったからとかもありえる)私はなるたけ応えようと頑張る。学生時代は背伸びして背伸びしてやっとこさやってた。そのほうが成長するし、良かったと思う。でも今は本当に身に付いてる分だけの自分の言葉と知識で話す。だから毎回わりと真剣勝負。通勤の電車で、教えてもらった『千のプラトー』を読んだりしてる。

 

先生って「先生」なんだなとおもう。卒業してもわたしを前に進ませてくれる。たぶん天性の「先生」なんじゃないかな。卒業してからのほうが一冊一冊まじめに読み重ねてて変な感じ。と、同時にちょっと嬉しい。人類学がやっぱり好きだな。

自己分析もどきの日記

さいきんのことを書きたいのだが、仕事のことってどこまでが書いていいものなのかよく分からなくて書けないでいる。

 

面白いことも、しんどいことも、たくさんあったから書きたいんだけどなあ〜。

 

世代のわりには、ライフワークバランス的なものに興味がないということがわかった。土日は欲しいけど、残業は嫌じゃないと言うか、覚えることたくさんあってラッキーという気持ちが強い。あと、手を動かせば動かした分なにかが出来上がるのは良いことだとおもう。誤魔化したりはったりをかましたりが上手くて生きてきた節があるのだけれど、そんな部分に嫌気がさしていたので、そういうものが通用しないことは私にとってありがたい。

 

「これをやる」と決めたものに対しては理不尽も全て飲み込むし、それ以外は道理が通ってるかをすごく考えて、拒否できるものはするという生き方は私の前面的な性格だなと気付いた。良いとか悪いとかは分からない。いつそういう風になったのかも分からない。

 

以上、自分のことぐらいしか考えることがないので自分のことを書いてみた。

良い詩を見つけた

とても良い、好きな詩を見つけたので残しておく。Twitter経由で知った。

 

岡本かの子「女人ぼさつ」

薔薇見れば薔薇のゑまひ 
牡丹に逢はゞ牡丹の威
あやめの色のやさしきに優しく
女人われこそ観世音ぼさつ

柳絮直ければ即ち直く
松厳くしければわれも厳くし
杉いさぎよきに、はた、いさぎよく
女人われこそ観世音ぼさつ

そよ風にそよとし吹かれ
時に、はた、こゝろ浮雲
足裏の土踏むちから
女人われこそ観世音ぼさつ

人のかなしみ時には担ひ
よろこびを人に送りて
みづからをむなしくはする
女人われこそ観世音ぼさつ

ぼさつ、ぼさつ、観世音
千変万化
円融無碍もて世を救ふ
女人われこそ実に観世音

 

 

女という性を持った自分へのナルシシズムと覚悟が見える。

最近、ジェンダーの問題をなんとなく考えていることが多かった。大抵は人を憎む気持ちと愛する気持ちと、自分の中の偏りに嫌気がさす気持ちで出口がなくなり、考えるのをやめる。そんな中で読んだこの詩。自分の内側から湧きでた言葉で、自分の性を語るという強さに惹かれた。

大括りにしてしまって傷つき合いがちな問いを、大括りなまま、しかし自分の感覚と肌と言葉で綴っている。「足裏の土踏むちから 女人われこそ観世音ぼさつ」というところなんて正にそう。いいねえ。

帰りたいけど帰らない

寺山修司の「書を捨てよ町に出よう」や「家出のすすめ」に、田舎へ帰りたいけれど帰らないという話が出てくる。わたしはその話に非常に共感を覚える。

言葉に表すのが難しい感覚なのだが、わたしは別に「地元帰りた〜い」と思っているわけではない。もっと奥底の希求としての帰りたさだ。思考とは別の次元といえばいいのだろうか。思考的には、帰らずにここでやりたいことがあるし、重たい自由を感じる生活は幸せだ。でもそれとは別で、帰りたさ、ふるさとへの申し訳なさ、罪意識のようなものがある。そして難しいのは、思考の上でも「帰りたくない」というわけではなく、生まれたところとは違う場所で(自分が選んだ場所で)生きてみたいという欲求があるのみであって、うーん要は「帰らない」選択をする理由はその一つしかないのに「帰る」理由は山ほどあるのが難しいのかな。

これは「生まれた場所なんてどうでもいいじゃん」「自分の人生でしょ」と考えている人にはたぶん分からない感覚だと思う。わたしも本当に、「私の人生は好きにするぞ」と思っているし、だからこそいま違う場所で働いている。しかし、自分に連なるものたちや、わたしに深く根差したものたちの存在を無視することはできない。わたしは単体で存在しているわけでなく、故郷の土はわたしであり故郷の人もわたしだ。そう感じてしまう。いわゆる郷土愛とも違うと思う。もっと密接に自分ごとな感じ。

わたしがこの話を人にすると、旧弊で古臭い風習に縛られていると捉えられることもあるが、決してそうは思わない。縛られていることは否定できないものの、だから大切でないと言い切ることはできない。じぶんと地が結び付けられている感覚はとても愛おしく、しなやかな強さをくれるものだ。

ごめんなさい愛しているけれど、本当に大事だけれど、それよりもじぶんの命をじぶんで使ってみたいんですごめんなさい。とずっと思っている。

22さい

わたしはいま、22才。あと2ヶ月ほどで23才になる。

22才の誕生日には伊勢正三の「22才の別れ」を流してケーキのろうそくを消すつもりだったのに、すっかり忘れていたことはいまだに後悔している。

私の誕生日に22本のローソクをたて

ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って

17本目からはいっしょに火をつけたのが

昨日のことのように

こういう歌詞。

 

まあそれはいいとして、最近多い現象がある。その名も「もう5年近くも使ってるなあ感慨深いなあ」現象。17才の春に一人暮らしを始めたので、そのころから使い続けていたり何度もリピートしているものはちょうど5年が経つことになるのだ。例えばMDノートとか、お気に入りのマグカップとか。5年というのは私の感覚で言えばわりと長い。使い込んだなという気持ちが生まれてくる。そしてそれはとても嬉しいことだと思っている。

「長く使ったモノ」の魅力はずっと感じていた。何十年もモノを使う本はたくさん読んだし、祖母が持っている古そうな竹カゴは細部まで思い出せる。それは「自分には手の届かないモノ」だと感じていたからだ。何百万の車は一生懸命働いたら買えるかもしれないけれど、30年使ったカゴ(しかも古道具屋で買ったわけでもなく自分だけがずっと使ったもの)を手にしている自分はさっぱり想像できなかった。だからこそ魅力的だった。でも22才のわたしの手の中には5年使ったマグカップがある。30年に比べるとひよっこだが、幼い頃とは明らかにちがう感覚でマグカップを眺めている自分がいる。

 

実は20才を過ぎてから、自分の人生みたいなものがよくわからなくなっていた。そんなに深刻な話ではない、よくあることだと思う。良い高校と大学に行ってたくさん勉強するところまでしか親も先生も教えてくれなかったし、自分もその先を考えることはしなかっただけだ。なんとなく、20才くらいが人生のピークでそのままわたしは消えるんだと考えていた。だから21才の誕生日が来たときはとても変な感じだった。それからずっと未来はぼんやりしていた。今思えば幼稚だが、大学進学までのストレートで明確な道筋とはあまりに対照的だったのだ。正直に言えば、今も未来は大してはっきりは見えていないが、それが当たり前でそれが自由ってことなんだと思う。(そもそも明確な未来が見えている時はたぶん何かが過剰なときで危ない)そんな中で、「5年使ったモノ」が持っている確かさと永続性の欠片は宝物のように感じる。

 

年齢の重みみたいなものは確かにあって、それは他者に対しての威厳みたいに語られがちだけれど、本当は自分で自分を感じられる重みのことなんじゃないだろうか。年を重ねるにつれて、使っているモノも自分も重たく深くなればいいなと思っている。あと、なんだかんだ言ってずっとやってたら上手くいくもんだなってのも最近の感想として付け加えておく。

暦と、勉強の底に残る砂金

今日は久しぶりに出社した。都会の小綺麗な公園を通って会社に行く。9:00〜17:30勤務。なんて健康的。先週は校了前で、いくらやっても次から次に湧いてきて本当に世を恨んだが、終わると大変きもちがよい。農業暦みたいに各会社にもそこごとの暦があるんだろうなと思う。業務を覚えたり考えたり作ったりするのを通して暦を身につけていく感覚がある。そのうち体が暦に合わせて変化して、そしたらぐっと楽になるだろう。

 

思い返せば大学時代も暦はあったなと思う。春学期と秋学期とテスト期間と、長期休暇。感覚をたぐり寄せると、これに慣れるまでに2年丸々使ったような気がする。授業内容とか人間関係のこととかばかりが目の前にあって在学中は気づかなかったが、確かに暦のリズムがあってそれに乗ってしまうととても楽だった。課題等々はしんどくても息が出来ていたし楽しめていた。

 

話を今に戻すが、私が会社の暦に気付けたのは学生時代に学んだからだと思っている。フィールドごとに暦とリズムがあることは調査しているとほぼ必ずと言っていいほど出てくる問題であった。4年間の勉強はどこにいったのやらと思っていたが、意外と身の底に一粒の砂金として残っているものだと感じた出来事だった。

ホラー映画は良いって話

ホラー映画は良いって話をしたい。私はホラー映画が好きだ。8歳頃のこと、学校で、最近見た映画の話題になった時に、皆がディズニープリンセスジブリをあげている中、1人だけ「伽耶子」と言ったことを覚えている。両親は何を見せるとか何を見せないといったことに案外無頓着で、好きな映画をゲオで借りさせてくれていた。

 

こういう風に書くと映画好きのように見えなくもないが、そういうわけではない。映画自体は苦手な部類である。理由は疲れるから。ぬるぬる動く壮大な映像、しかも2時間足らずの中に起承転結が詰め込まれているのが映画である。一度見たら最後、エンドロールの頃には感動の渦に呑まれて1週間は元に戻れなくなってしまう。フォレスト・ガンプをはじめて見たときは本当に2時間くらいランニングした。変に自罰的な影響を受けやすいのだ。だから良い映画であればあるほど感動と自己研鑽を強いることになってぐったりくる。

 

その点、ホラー映画は良い。感動なんか一切ないし私に変化を求めてきたりしない。ぎゃ〜っと叫んで、夜お風呂に入るのが怖くて、眠る時もドキドキするだけ。怖い以上のものがなにも発生しないのだ。感動や面白いや泣けるという感情を提供する娯楽と、恐怖を提供する娯楽はここで一線を画しているとおもう。

 

怖いものをつくる人間は、相手が怖がってくれること以外を考えていないだろう。感動して自己を大事にして欲しいとか、自然の大切さに気づいて欲しいとか、そういう説教臭さがない。そのシンプルさも好ましい。(もしかしたら命の大切さを見つめ直して欲しいとか考えているのだろうか?と書きながらふと思った。まさかね。)

 

ホラー映画、みんなも見てね!